【道東の輝く人】有限会社 希望農場 代表・佐々木 大輔さん

「牛が嫌い」だった青年が、10年後の故郷を守るために選んだ道。酪農の聖地で”新たな大地”を拓き、次世代へ希望を繋ぐ開拓者

中標津町。人口約2万2千人。
日本有数の酪農地帯として知られるこの町で、
これまでの常識にとらわれず、新しい農業の形を模索し続ける一人の経営者がいます。

「有限会社 希望農場」代表、佐々木大輔さん。

彼は、酪農が主流のこの地で「畑作」の可能性を証明し、
さらには最先端技術を持つIT企業と連携するなど、多角的な視点で地域農業を牽引しています。
しかし、その原動力となっているのは、決して個人的な野心だけではありませんでした。

「僕の根っこは、ナマケモノなんですよ」

そう笑う佐々木さんの言葉の奥にあるのは、「農業を永続させなければ、この町は終わる」という、
あまりにも切実な覚悟でした。 今回は、その想いの深淵に触れるロングインタビューをお届けします。


📸 まずは、この人!

  • キャッチコピー: 「農業が永続しなければ、街も永続しない。それが僕のプライドであり、責任です」
  • お名前: 佐々木 大輔(ささき だいすけ)さん
  • 肩書き: 有限会社 希望農場 代表取締役
  • ひと言で紹介: 酪農の町で「食文化」を耕し、IT農業の実践や教育活動を通じて、中標津の未来地図を描く開拓者。

🔥 第1章:「牛に飼われる」ことへの葛藤

🐮 「牛が嫌い」という言葉の真意

佐々木さんは、昭和世代の農家の長男として生まれました。
生まれた時から周囲に「後継ぎだ」と言われ続け、牛舎が遊び場という環境で育ちます。
しかし、思春期を迎えた佐々木少年は、ある違和感を抱き始めました。

それは、「牛が嫌い」という感情です。

もちろん、酪農家として牛が経済動物であり、大切な存在であることは理解しています。
佐々木さんが嫌ったのは、動物そのものではなく、「人間の生活すべてが牛に支配される環境」でした。

「お祭りの日でも、農家は忙しくて連れて行ってもらえない。朝早くから夜遅くまで、365日休みなく牛の世話に追われる。牛を飼っているのではなく、人間が牛に飼われているんじゃないか 。そう思っていました」

高校卒業後は農業から離れようと就職も考えましたが、当時の手取り給与と生活費を計算すると、
自立して生きていくことの厳しさに直面します。
最終的に、本別町の農業大学校を経て20歳で実家に戻りますが、
そこで待っていたのは「家族経営」ゆえの難しさでした。

🚜 「家業」から「企業」へ

実家に戻っても、明確な給料はなく「お小遣い」制。
自分がどれだけ働いても、手元に残るお金で自立した生活設計を描くことは難しい状況でした。

「親が元気なうちは経営権もなく、50代になってもお小遣いで暮らすような農家もいる。これでは、結婚して家族を養うことも、経営者として育つこともできない」

その危機感から、佐々木さんは一つの決断を下します。 それは、農場を「法人化」することでした。

自分の子供だけでなく、町に住むサラリーマン家庭の子供たちも就職でき、しっかりと給料をもらい、休みが取れる「会社」にする。 佐々木さんが目指したのは、単なる規模拡大ではなく、「若者が将来に希望を持てる農業のあり方」そのものだったのです。


🌾 第2章:中標津の「食」を自給する挑戦

🍞 酪農地帯だからこそ育つ「作物の力」

現在、希望農場では酪農だけでなく、小麦、小豆、大豆といった「畑作」にも力を入れています。
「酪農地帯の中標津で畑作なんて」と思われるかもしれません。しかし、佐々木さんはそこに勝機を見出しました。

中標津の土壌には、長年の酪農によって家畜の堆肥が還元され続けており、非常に地力が高かったのです

もちろん、道のりは平坦ではありませんでした。
小豆栽培を始めた当初は、4〜5年は全く利益が出ず、苦しい時期が続きました。
それでも品質にこだわり、「良いものだけ」を選りすぐって出荷し続けた結果、
地元の菓子店に認められ、今では「中標津あんぱん」「標津羊羹」の原料として欠かせない存在になっています 。

「自分が作った小豆があんぱんになり、大豆が納豆になる。『美味しいね』と言ってもらえた時、初めて農業が楽しいと思えました。原料生産だけでなく、地域の食文化を作っているんだという実感が持てたんです

今では、佐々木さんの朝食は、自分の畑で採れた米と、自分の大豆で作った納豆で完結するそうです。
「中標津の食卓」を自らの手で作り上げているのです。


🚀 第3章:未来を見据えた「仕組み」づくり

💻 「ナマケモノ」だからこそ、システムを作る

希望農場の敷地内には、クラウド牛群管理システムを展開する「株式会社ファームノート」の実証農場があります。
なぜ、最先端のIT企業と連携するのか。そこには佐々木さん独自の経営哲学があります。

「僕の根っこは、ナマケモノなんです。だからこそ『生産性を上げる』=『どうやったら楽をして利益を出せるか』を真剣に考えるんです

これは決して「サボる」という意味ではありません。
無駄な労力を減らし、システムや機械に任せられる部分は任せることで、人間はより創造的な仕事に集中する。
そうして利益を生み出し、次の世代が苦労せずに農業を続けられる「仕組み」を残したいという、深い親心にも似た責任感です。

精神論で体を壊す農業ではなく、スマートに稼ぎ、豊かな暮らしができる農業へ。
佐々木さんの視線は、常に10年後、20年後の後継者たちに向けられています。


🌍 第4章:すべては「永続」させるために

🏘️ 農業がなくなれば、街も消える

今回の取材で、佐々木さんが最も力を込めて語った言葉があります。 それは、「永続」です。

「僕ら農業者は、この地域の基幹産業です。辞めるという選択肢はありません。どうやって永続させるか。農業が永続しなければ、街も永続しないんです

もし今、農業が衰退し、人口が減り続ければ、街の商店も、インフラも維持できなくなるでしょう。
だからこそ、佐々木さんは「自分の代だけ儲かればいい」とは微塵も考えていません。

10年後、人口2万人を切らないために。
農家の子供だけでなく、地域の若者が「ここでパン屋をやりたい」「豆腐屋をやりたい」と思った時、
最高の原料を提供してバックアップできる体制を作る。
それが、地域に生きる農業経営者としての「責任」であり「プライド」だと語ります。

「ちっぽけなプライドは捨てないと、うまくいきませんよ」
そう謙遜しながらも、佐々木さんは今日も「10年後の中標津」のために、種をまき続けています。


💖 佐々木さんの「素顔」Q&A

最後に、佐々木さんの素顔を少しだけご紹介します。

Q. お休みの日は何をされていますか?
A. 休みはありません(笑) 根がナマケモノだからこそ、「将来楽をするための仕組みづくり」に今は全力を注いでいます。
毎週のように講演やディスカッションの依頼があり、ほぼボランティアで走り回っていますが、
それも未来への投資だと思っています 。

Q. 道外の友人が来たら、中標津のどこに連れて行きますか?
A. まずは「開陽台」ですね。 自分一人では行きませんが、あの330度の地平線が見える景色は、
やはり本州の方には衝撃的ですから。 食事に行くなら、居酒屋の「呑食里」さんが多いです 。
盛りが良くて美味しくて、気取らない地元のお店です。

Q. 教育活動での「伝説のエピソード」があるとか?
A. 小学校の授業で、規格外の玉ねぎの収穫体験をさせた時のことですね。
「袋が破れるまで詰め込め!」と子供たちを畑に送り出すと、先生が止めるのも聞かず、子供たちは夢中になって収穫し、
楽しんでました。 その「泥だらけの記憶」こそが、将来彼らがこの土地を愛する種になると信じています。


🖊️ まとめ

「牛が嫌いだった」。
その言葉から始まった佐々木さんの物語は、「人間らしく、豊かに暮らせる地域を永続させたい」という、
深く温かい願いへと繋がっていました。

自らを「能力がない」と謙遜されますが、その求心力と行動力は、
間違いなく中標津の農業を、そしてこの町の未来を支える「土台」となっています。

私たちが普段何気なく食べている「中標津あんぱん」や「中標津納豆」。
その一つひとつに、佐々木さんのような生産者の、静かで熱いドラマが詰まっていることを、ぜひ思い出してください。

(取材・文:道東さん編集部)


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